セント・アンデレ・クロス(2)

「生命を食べる」

 クリスマスが近づいてきました。家族と共に囲む豊かな食卓を思います。イエスが最後に最愛の弟子達との別れの時を持ったのは「食卓」でした。食べることは私達にとって非常に重要な事柄です。そんな食卓を思う時、私達は食べることを本当に大切にしているのかと心を痛める場面があります。先日、韓国に出張をしました。旅先でも重要な要素は食事です。その食事で人気なのがビュッフェスタイルです。様々な種類が並んでいて、ついつい取りすぎてしまうのが常ですね。「もう少し控えておけばよかった」と思いつつ、沢山お皿に取った人を横目で見て『たくさんお食べになるのですね』と上から目線で笑顔で声をかけつつもおかわりに立つ自分も変な奴です。

 しかし、これらは神様からの恵みであることを忘れてはいけません。人間は他の生命を滅さなければ生きてゆけません。動物を育てて大きくして太らせて、そのあとこの命を滅してお肉をいただく。「お肉、おにくう!」と叫ぶ子ども達にはもう少し大きくなったらこのお肉の由来を考えてもらいたいと思います。

 「いのちの食べ方」という映画をご存知でしょうか。食べ物を命から生まれることを教えられる映画です。まずはひよこから始まります。選別されて餌を与えられ少しずつ大きくなってゆき、最後に殺されてコンベヤーに逆さにつるされて羽をむしられ肉となってゆく様があらわされます。その横で黙々と食事をする農夫と対比させながら、ナレーションは一切ない映画です。植物も同じく光を当てられ収穫されると引き抜かれ処分されてゆきます。最後は大きな牛が電気ショックで殺されて電動ノコギリで捌かれてゆく様はショッキングです。「こんな残酷な映像…」と思いますが、私達の食はこれが現実です。スーパーできれいにパックされた様々な食品からはなかなか想像できません。しかし、明らかに人間は他の生命をいただかなければ生きてゆけないのです。野菜という植物にも命があったのです。

 私達はその生命からくる食事をむしゃむしゃとただ「食う」のでなく、やはり「いただく」べきではないでしょうか。帽子をかぶったまま食事をしたり、「めしを食う」と言ったりするのではなく、どうか帽子を取ってお料理に頭を下げて、与えられたこの生命に感謝して姿勢を正して「食事をいただく」ことをしたいものです。恵みに感謝するこのクリスマスの時に、この大いなる恵みにもう一度、目を向けませんか。

文/滋賀YMCA総主事 久保田展史(滋賀YMCA News Xmas/No.81 2019)

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