終戦の日を前に平和について考えよう②

 太平洋戦争末期、日ソ不可侵条約を一方的に破って満州に侵攻したソビエト軍を恐れ、155万人の民間邦人が命からがら逃避する羽目になります。そして、その間に虐殺、女性への強姦、飢餓、疲労と自決、これらを生き抜いた人々が引き上げ、子どもを中国人に託して逃げる亡くなるなどの悲劇が起こりました。それが中国残留孤児という問題を今も引きずり続けています。
 残留孤児として認められない日本人。認められて日本に帰ることができても日本になじめない人々。中国で虐められも日本で差別を受ける、中国人でも日本人でもない人々という悲劇が今も残されています。
 戦後27年経った1972年、グアム島で日本軍人の横井正一さんが終戦を知らずに密林の中で生活しているのが発見され、日本中が驚かされました。
 日本ではすでに1964年に東京オリンピックが行われ新幹線が開通しているのです。
 そしてもっと驚くのはその2年後1974年にフィリピンのルソン島のジャングルの中から元日本兵の小野田正一さんが帰還したのです。背筋を伸ばして敬礼している姿には本当に驚かされました。捕虜にならずに生き延びて諜報活動をせよという命令を20年近く戦争が終わったことを知らずに守り続けていたのです。これは狂気の時代が残した悲劇でしかありません。57万5千人のシベリア抑留者の中には1000人の女性も含まれていたといいます。シベリア抑留の事実については多くが語られてきませんでした。この1000人の皆さんが語れなかった事実とその後の多くの差別は想像でしかできません。 戦争の悲劇はそれだけでおわらず、差別や非難で次の犠牲を作り出します。戦争を知らない世代の方たちにも、なぜ今なお語られていない部分が多くあるのかを疑問に思ってほしいと思います。    
 いずれにしろ、憎しみは憎しみを生み、生命を軽んじる行いに広げる戦争について「戦争は行けないこと」という価値観を押し付ける形でのみ伝えるのでなく、ぜひその真実を見つめる機会を教育者として作ってほしいと思います。この夏のひと時、失われていった世界中の多くの生命について考え、祈るひと時を持ちたいと思います。
 これらの生命を忘れることなく、私たちが生きることができますように。これらの多くの魂が神様のもとにあって安らぎと平安が与えられますように。

2020年8月12日 久保田展史

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