終戦記念の日に

 暑い暑い終戦記念の日を迎えました。
 先日私がお送りしたメッセージの中で『教育において「戦争はいけないこと」という価値観だけを押し付ける形は良くない』とはどういうことであるかという質問をされた方がおられました。
 15年ほど前でしょうか、リーダー会でひとりのリーダーと平和について話していた時です。私はリーダーのH君(京都大学理学部3回生)と話していました。私が彼に他国から飛んでくるミサイルを防衛するために日本も迎撃ミサイルを置くべきではないですか(その当時はまだそんな議論の時でした)と聞くと、彼は答えました「久保田さんそれはダメです。日本は憲法で戦争の放棄と武器をもっては駄目となっています。そのような武器を配備してはいけないのです。」 でも、もし他国からミサイルが飛んできて君の大事な家族の住む町に落ちてくるのがわかったらどうするの?「しようがないですね。あきらめましょう。日本では武器に対して武器で対抗はできません。」 えっ?何もしないの?「しようがありません。そのときはあきらめましょう。」
 それから約10年経ってから、リーダーの結婚式でH君と再会しました。彼は卒業後に同期のリーダーと結婚し、その時には3歳と1歳の娘さんがいました。懐かしく会話をしていて、リーダー会での話を思い出して話しました。彼は自分がそんな答えをしたことと、私がそのことを覚えていたことに驚いていました。そして、今ならどう考える?と聞くと彼は即答しました。「ミサイルが飛んで来たらすぐに撃ち落としましょう。何なら、その国が発射ボタンを押す前にこちらから撃ちましょう!」
 終戦の日に不謹慎とお思いにならないでください。彼のように愛する家族ができたならば、ごく普通の考え方なのではないでしょうか。しかしその結果私たちが戦争をしたらその結末はどうなるのかを知ることが大事と思うのです。
H君の15年前の答えは明らかに「価値観として教え込まれた平和への考え方」でした。彼の15年後の答えは「家族愛に満ちた防衛意識」であったのです。
 その当時戦争に行った多くの方たちは自分の家族を守るために、その家族の住む国を守るために戦地に行きました。彼らは自分が犠牲になってでも敵を止めて家族や故郷を守ろうと考えたのです。その当時の戦争の指導者たちははこのように人々の「愛」を利用して人々を戦争に駆り立てていったのです。これは日本だけの話ではありません、他国でも同じように人々の愛を利用して戦争に人々を駆り立てました。
 しかし私たちはその結果何を招いたということをしっかり見つめなければならないのです。子ども達にも見つめてもらわねばならないのです。自分たちには自分たちの正統的理由がありながら行った戦いが、いかにたくさん互いの大切なものを潰しあったか。
 私たちは憎しみが憎しみを生み出すことしかしなかったことをしっかり見つめねばなりません、そしてそれを忘れてはいけません。私たちは教育において次の世代の人たちに憎しみあいが起こした結末を学んでもらい、自分の考えで戦争は決して起こしてはならないと考えるようにしてもらわなければならないと思うのです。
戦争を起こしてはいけない。その前に互いを理解しあう努力をして平和な世界を作らねばならない。
 私たちは「倍返し」などというドラマの言葉を流行りにして使ってはいけないのです。
 戦争において失われた数えきれない大切な命を思ってお祈りいたします。

2020年8月15日 久保田展史

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